「瞑想すると疲れてしまう、毎日続けるのは厳しいな……」
せっかく瞑想で人生をよりよくしようとしているのに、こうなってしまうとちょっと残念ですよね。
でも意外にも、「瞑想で疲れてしまう」と感じている人は少なくないようです。
ということで今回は、なぜ瞑想したら疲れてしまうのか? その理由と解消法についてお話ししたいと思います。
瞑想は何事にも集中しないことが大切
まずはじめにとても誤解しやすいポイントを整理すると、瞑想とは何事にも集中したり執着したりせず、ただ自分の思考を観察する行為です。
集中力を高めるとか、「何も考えてはいけない」と思考を無理に抑えつけながら目を閉じてジッと座っている、というようなものではありません。
そんなことすれば当り前ですが疲れてしまいますし、それは瞑想ではなく、考え事(「何も考えてはいけない」と考えている)をしながら唸っているのとあまり違いがありません。
ちょっと瞑想しているときのことを思い返してほしいのですが、眉間にシワが寄っていたりしないでしょうか?
その場合は十中八九、瞑想にはなっていません。
目をつむって考え事している、そしてその考え事をしないように四苦八苦している、というような状態です。
目をつむって呼吸に意識を向けるだけ
瞑想の方法にはいろいろありますが、私が実践している方法は自分の呼吸に意識を向け、息を吐いたり吸ったりしたときのお腹の動きなどに意識を向けるようにします。
エイブラハムの言葉を借りますが、呼吸などの取るに足らないこと(感情に起伏が起きないこと)に意識を向けることで、外界からの情報刺激とか、自我から距離を置くことができやすくなるわけです。
そして顕在意識とか自我とか言われるものが沈静化し、潜在意識が浮かび上がってくることで変性意識状態になるのが瞑想の目的です。
またその際に、忘れていたような記憶などを思い出したり、いろいろな思考が漂い出します。
それが自然です。
なので「何も考えてはいけない」と、浮かんできた思考を抑えつけようとする必要はないんですね。
ただ、自分がその思考に囚われそうになっていることに気づいたら、再び呼吸に意識を戻すようにする。
これをひたすら繰り返すだけです。
集中力なんて、いりません。
そしてこれを習慣的に繰り返しているうちに、自分の思考を観察することがうまくなってきます。
つまり、瞑想中に自分が特定の思考に引っ張られそうになったとき、それに気づきやすくなるわけですね。
そうなるとより短い時間で、より深く、変性意識状態に入っていけるようになるという流れです。
「修行」みたいなイメージは捨てた方がいいかも
瞑想と聞くと、宗教家が修行の一環として取り組むみたいな印象が強いため、自分が実践するときも「集中力を高めて」とか「気合を入れて」と考えてしまう人もいるかもしれません。
そういう人は「修行」「苦行」みたいなイメージを捨てて、「リラックスして取り組むもの」「自分の中にいるハイヤーセルフに出会えるもの」という感じで、楽しみながら取り組んでみることをおすすめします。