アファメーションについて、すごい単純な質問があります。
例にもあるような
「私は○○さんに心から愛され、必要とされています」というアファメーションをしようとしたときに、一人称を「私」ではなく「僕」とか「俺」とかに変えてもいいものですか。
また、相手の名前も、「○○さん」という呼び方ではなく、あだ名や○○ちゃん などにしてもいいのでしょうか。
一人称が「私」だとよそ行きの感じがするし、「○○さん」とほぼ呼んだことがないのでちょっと違和感を覚えてしまいます。
イメージできればそれでいいんじゃないのかな、とは思っていますが、気になってしまったので、よろしくお願いします。
こんにちは、メールありがとうございます。
実は私も、アファメーションを実践し始めた頃、同じことを考えました。
結論から言えば、ご自身の違和感のない表現で大丈夫です。
もっと言えば、ご自身が言葉にしたときに、その情景をイメージしやすい言葉遣いでアファメーション文を作ってください。
この件については、私もいろいろ調べましたので、私なりの考えをお伝えしたいと思います。
まず、この世界は、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」で構成されていますよね。
で、現代の社会ではとかく目に見えるものが重要視されるため、目に見えないもの(たとえばスピリチュアルな話題など)は拒否反応を示す人もいます。
ですが、そういう人だって目に見えないはずの電気は当たり前のように存在を認識していますし、それによって照明や調理器具などを使っているわけです。
空気だってそうですよね。
あなたも私も、そこに空気があるのは知っていますが、それを目で見ることができません。
この世界には、実は目に見えるものよりも目に見えないものの方が何倍も何十倍も多いのです。
毎度のごとく話が回りくどくなってしまいましたが、どうしてこのような話をするかというと、「言葉」というものは、「見えるもの」と「見えないもの」の橋渡し的な役割をするものだからです。
私たちは当たり前のように言葉によってコミュニケーションをとっています。
それは単純に普段の会話だったり、録音したり何かに書き記したりすることで、現在だけでなく未来の人たちへ意志を伝えることもできるわけです(書き記した時点で「目に見えるもの」ですが、その意味や意志は「目に見えないもの」です)。
アファメーションをもっと掘り下げて考えていくと、目に見える身体を動かすことで声を発し、目に見えないものに作用する方法とも言えます。
そして、言葉の先にある「見えない世界」に、「イメージ」であるわけです。
身体(見える世界)→言葉(見える世界と見えない世界の橋)→イメージ(見えない世界)
というような感じです。
そして私たちは、言葉によってイメージを膨らませたり、より鮮明に作り上げることができるのです。
たまにTVで催眠術師の人がタレントさんなどを目を閉じて座らせ、「ほ~ら、だんだんと身体が沈んでいきます」みたいな感じで言葉をかけているのを、あなたもごらんになったことがあるかもしれません。
これも言葉の特性をうまく利用した方法であると言えると思います。
つまりアファメーションとは、自分の言葉によってイメージをより強力なものにし、見えない世界から見える世界に働きかける作業とも言えます。
そのため、あなたの仰る通り「イメージできればそれでいい」わけです。
アファメーションで重要なのは、言葉を通してイメージをより鮮明なものにしていくことです。
「引き寄せたものがイメージしていたものと違う」というような話をたまに聞きますが、それは何のことはない、ただイメージが不鮮明であっただけです。そもそもイメージしたものを違うものが引き寄せられることなどありませんので。
ということで、あなたのイメージしやすい、違和感のない表現を使ってアファメーションに取り組んで頂ければと思います。
あなたの幸せを願っております。